対話⑨〜Nさん〜心の目隠しを外す

対話9人目は18歳Nさんです!

Nさんは小・中学校の時の後輩で、今高校3年生の女の子です。

 

彼女は高校生なので、学校で"今"感じている疑問や不安を聞けるんじゃないかなと、対話をお願いしました。

また、個人的に私は彼女の書く文章が好きで、そう言った話も少ししたいなぁと思っていました。

 

今回は主に学校での、"何か集団に混ざれない感"についてお話ししています。

学校で孤立している子も、特定のグループに入ってはいるけれど何か息苦しさを感じている子も、この対話が何かのヒントになることを期待して…

以下、対話です。

 

 

😊:わー!お久しぶりー!ありがとう☺️

 

N:お久しぶり〜👋

 

😊:久しぶりすぎて、あまりNちゃんの近況がわからなかったから、メッセンジャーで軽く質問させて貰いました。「孤立しているわけではないけど、何か特有のグループに混ざれない感じがする」が今の学校での悩みなんだね。

 

N:うん。何かキャピキャピ?出来ないっていうか。女子の距離感の取り方が良くわからない。歳上の人の方が話しやすい感じがする。

 

😊:なるほど。

そういうのは昔からそうだったの?

 

N:中学くらいから。みんな一気に誰かの悪口を言って群れるようになったのを見て、「私はこういう集団には混ざりたくない」って思うようになった。

悪口で盛り上がるの好きじゃないし。

 

😊:なるほど。善悪で言うのも何だけど、それは悪いことではなくない?

 

N:うん。

悪口も嫌だし、私自身"個人"をあまり嫌えない。でも、みんなが"集団の一部"になった時は嫌いかな。というか、怖い…

だから個人個人とは仲が良いけど、普段グループに属している訳ではないから、休みの日に誰かに誘われることは少ないっていうか。

 

😊:そうなんだね。それで良いんじゃないかな?私は普段、1人を極めまくってるよ笑

例えば、グループの悪口って怖いけどさ。本当は「みんなが完全に同じ人を、同じように嫌い」なんて無いよね。だって、貴方たちは完全に同じ人じゃ無いでしょう?って。

 

N:うん。自分と全く同じ人間なんていない。だから、みんなそれぞれ合うところも合わないところもあって当然だと思う。

「みんな違って、みんないい」なんだけどね。

だけど、みんなが"集団の一部"でいる限り、私は誰も信用出来ないし、相談できない。

 

😊:大丈夫?誰かに辛いことを相談出来てたりはする?相談相手は学校だけではないからね。

 

N:それは大丈夫。「こういう時はこの人を頼ろう」「あの人はこれについて詳しいからちょっと聞いてみよう」みたいな感じで、完全に何かに依存するんじゃなくて、その時によって相談相手を変えたりしているから。

それこそ、集団じゃなくて個人個人に目を向けるっていうか。

 

😊:良いね!とても自然で!

 

N:特定のグループに相談していたこともあったけど、何か"相談"なのにみんな口を揃えて「悪口」に変換したがる感じが辛かった。私はただ、自分の気持ちを整理したり、解決策を見つけたかっただけなのに、何だかおかしな方向にいくんだよね。

「トイレに行こうよ」って言われたら行くし、「みんなでこれをやろうよ」って言われたら言われた通りにやるし、普段は人に合わせるタイプだけど…

でも、悪口だけはどうしても違うと感じて。

もう誰も信用出来ないって苦しかった。

 

😊:辛いね。私なりにわかるところがあるよ。

私も、集団の空気に呑まれる感じが怖くて、それこそトイレにみんなで行くのを拒んだりしていたな。私は「みんなとトイレに行かないこと」で「私個人」を何とか保とうとしていたんだよね。

それと同じで、「誰かと一緒に悪口を言う」ことが自分の心の防御だった人も居るのかもしれない。そうしないと生きていけなかったっていうか。

 

N:うん。みんな自分のことを認めて欲しいんだと思う。自分"個人"を見て欲しい。だからこそ、悪口を言い合って、さも人に共感されたかのような錯覚に陥ったり、自分が否定されないように周りに合わせたりしちゃうんだと思う。

 

😊:そうだね。私達って「行動」や「言動」を見て、その人の性格を決めがちじゃん。道で困っているお婆ちゃんを助ける=優しい人!みたいな。その人の心を直接じーっと見ることは出来ないし。

だから、頭では「本当はこの人も苦しんでいるんじゃないかな?」って考えることが出来ても、いざそういう悪口の場に居ると、みんな酷い人間に見えてしまったりする。後、特に学校しか世界を知らない人は、自分の性格をそこで確立させちゃう。例えばそのグループに悪口を言われただけなのに「自分は酷い人間なんだ…」って、世界中から否定されたような錯覚に陥る。

 

N:そうだね。

学校って、本当に縛られることが多いし、同年代しか関わる機会がほとんどない。そこからいきなり、社会人になって世界が広がったら訳分からなくなりそう。

学校以外にも居場所をたくさん作って、「人を頼る力」を身につけることが大切だと思う。その方が心が安定もするし。そして、そういう機会をもっと学校側が示してあげるべき。

 

😊:うんうん。Nちゃんは、学校以外の繋がりは多いんじゃない?地域おこしに力を入れて色々活動しているよね。

 

N:うん。そういった活動で、大人と話を発展させるのが好きって気づいた。学校に友達がいなくても、その外で色々な人と出会って信頼関係を構築することで、心が安定することに気づいたよ。

 

😊:ブラボー!また私の話にはなるんだけれど、私の場合は「同調圧力が嫌になった」ことがきっかけで色んな署名運動とか呼びかけ・講演会に参加するようになったんだよね。

でも、時にはその場所が、また別の同調圧力で無意識のうちに誰かを攻撃している…なんてこともあって。何より「あれ?これ私が同調圧力に加担してるやん」って罪悪感が生まれるようになってさ。

私が本当に求めていたことは、「グループ同士の戦い」じゃなくて「個人との対話」だった。だから、今こういう活動をしているよ。

 

N:凄い!!集団でいると、どうしてもそこの「色」があるよね。みんなそれぞれの色で良いはずなのに。ノルウェーでは、選挙運動は真剣に訴えている人もいる一方で、お祭りの気分で来ている人もいるらしい。

一人一人、意志が違うことが前提な感じが良いなって。私、それで良いと思うんだ。集団だけど、個人な感じ。

 

😊:良い!

 

N:学校での話し合いの場でもそういうの(同調圧力)は感じて。例えば、暗黙の了解で何か権力者がいて、その人の意向に沿って話し合いが完成させられる感じ。凄いつまらなかった。意見を言うのは確かに怖いけれど、みんな意見が違うからこそより良いものが作れるんじゃないの?って思うよ。

後、出る杭は打つくせに個性は求められる感じ。何なんだろう笑

 

😊:個性の範囲が狭いんだよね。

 

N:後、学校にいるといつの間にか自分の本音がわからなくなってくるんだ。全体の感情に私が合わせないといけないことが多くて辛いの。集団の"嬉しい"によって実は誰かの"悲しい"が作られていたりするんだよ。

 

😊:とてもよくわかる。NちゃんはNちゃんのままでいて欲しいと思う。あの文章見たよ。「私にとって正義とは受け入れること」っていう。あれ見たとき、凄い嬉しかった!これからも続けて欲しい。

 

N:見てくれていたんだ。

人によって「正しさ」は変わってくるから、それこそグループ同士の戦いじゃなくて、「個人を尊重すること」が大切だと思う。

後、私、文章で何か伝えたいことを表現するのは得意な方だと思う。本を読むのも好きだし、日本語の繊細さも好き。同じ意味でも、言葉の組み合わせ方によって捉え方が変わるっていうか。

 

😊:なるほどね。Nちゃんは私と似ているかもしれない。私も文章書くの好きなんだ。

でも、一時期嫌いになったことはあった!感情ってみんなそれぞれ違うじゃない。なのに、「悲しい」・「嬉しい」って言葉によって感情を一括りにされる感じが嫌だった。それは言葉を組み合わせても同じで、結局整理されたものの羅列にしかならないし。だから、1人1人の感情に名前があったら良かったのにっていつも思っていた。

でも今は、そんなこと思わないよ。人間の魅力は「わかりきれないこと」にあると思うようになったから。

 

N:それは、私がさっき話した、全体の感情に合わせないといけないっていう話とも少し似ている。

「これは甘いから"甘い"。」「酸っぱいから"酸っぱい"」という生理的なものと同じように、

「これは悲しいものです」って誰かに最初から提示されちゃうっていうか。

自分の感情に反して、何か名前に合わせないといけない感じ。

だから、自分の感情に気づきたいのなら、とにかく今ある常識にこだわらない方が良いと思う。

 

😊:そうか。似ているけど新しい視点だ。ありがとう。

 

N:後、「普通」って単語、不思議だなっていつも思うな。普通って、その環境によって変わるやんって思うし、「みんな同じ」な世界が私は怖い。

でも、自分と違うものや見えない世界を怖いと思いがちな人は多いから。うん。世界って不思議だと思う…

 

😊:考えれば考えるほど苦しくなる話だね…

 

N:うん。でも、最近はそんな自分だからこそ、良いこともたくさんあったなって思う。

例えば、特定のグループに入っているとどうしてもそこの関わりだけで終わってしまうことが多い。でも、誰とでも話せることで、自分の見ている世界が広がるっていうか。

先生とも仲良くなれるし、学ぶ機会が増えて良かったなって。

後、ペアワークの時も凄くスムーズに話し合いが出来たり。

 

😊:わー!素晴らしい!

 

 

 

😊:では、文章が好きなNちゃんに質問です。好きな本は何でしょう。

 

N:湊かなえの少女。女の子2人の思春期を描いているんだけど、誰かを羨ましいと思う気持ちとか自分の行動が及ぼす周りへの影響とか、中学時代と重なる。

後は…村田沙耶香さんの本が好きなんだけど、ある本のセリフに「大切なものは他人に見せると完全に踏みにじられる。そんなに彼らが好きなら大事にしまっておきなさい。」っていうのがあって。

何だか納得したんだよね。何でも人に喋るのはやめて、自分がそれを大切にするだけで良いなって。でも、その一方で、やっぱり本当は誰かに無邪気に甘えたり、頼りたかったりもする。

 

 

😊:なるほど…。好きな音楽は?

 

N:sumikaっていうバンドの「flower」

異端児を見つめる群衆の視線の先はこの私

折れたくない事なりたくない人
アレルギーのように心が捌いていく
実らない現実は地に植えて 折れないように大地に根ざす

いつかそいつが芽を出して 大輪に咲き誇るんだって
殺していた気持ちが未来のフラワー

https://youtu.be/raYNBk5qzY0 (1分47秒から)

 

😊:良い歌詞!

今日は本当にありがとう。たくさん学べました。

 

N:気持ちの整理が出来て、何だかスッキリしました。

ありがとうございました!

 

ーーおしまいーー

👏

 

Nちゃんのことをたくさん聞こう!と思って挑んだ対話でしたが、Nちゃんのお話、本当に共感出来ることばかりで、新たな学びもあり…。ついつい私も喋り過ぎてしまいました。反省です。Nちゃん凄い!

だからかここに書く用のコメントが思いつかない。

 

なので、今回はちょっと違った記録を残そうと思います。

 

対話にもあるように「言葉によって自分の感情を、みんなと一つに整理されている」と感じ、苦しくなった時期が私にはありました。だから、その当時は自分の感情を「言葉」ではなくて、頭の中で一つの「絵」に変換させて、気持ちを落ち着かせていました。

感情と言葉の距離は遠すぎるけど、"絵"は何だかその中間にいる感じがしたし、何より自分の感情を「個別化」できる気がしました。

 

その時の気持ちを思い出しながら、私は、Nちゃんにちょっと変わった質問をしました。

「Nちゃんの不安を絵に表すとどんな感じなの?」

 

「目隠しをして歩いていて、その先には色々な道が広がっていて…そんな自分をもう1人の自分が幽体離脱して見ているような不安だよ。」

 

「その目隠しは誰かにされたの?」

 

「…そう思っていたけど、もしかしたら自分で見ないようにつけていただけだったのかもしれない。」

 

 

みんな、目隠しを外そう。

そしたら、もっと素敵な道が開いている👍