ゾッ

安倍晋三大好きと言った瞬間、 仲間が途端に私の前に立って石ころを投げる夢を見た。

 

支持政党は決めてないけれど、

若くて護憲派というところ以外に、 私のことを好きな人は、見てくれている人は居るのだろうかと 冷や汗かいた。ゾッとした。

かと言って、何の取り柄も無いですが。

気分を害したらすみません。

 

ただ一つ言えるのは、同調圧力を嫌って固まったコミュニティでも、同調圧力が生まれていることが結構あると思った。

維新が好きな友達が居るけれど、私はその人のことも結構好き。政治の価値観は合わないけれど、お互いそんなの関係なく助けて来た。

媚びずにいれるし成人式も会う予定。意見が合わないコミュニティでの居心地の良さも、案外あるものなんだなぁと。

 

憲法改正に賛成反対の表面だけで仲間割れするほど、割り切れない互いの複雑な感情や一致できる境遇があるのを知っているから、やっぱり頭ごなしの否定で無くて、対話って大切だと思う。

 

それは、自分が最高の考えを持てない時、自分を否定しない訓練にもなる気がしている。

一重の私

【理想像がみんな同じって怖くないですか?という話。】

私の友達Aさんに、痩せ体質なことにコンプレックスを持っている人がいます。

Aさんはこの前、 「"細い"という単語を褒め言葉だと信じて疑わず、「細くて折れそう〜」「私も細くなりたい〜」と私に"細い"を連呼してくる人が多い」と嘆いておりました。

 

そもそも、 本来私たちは、 肌の色とか、髪の色とか、目の色とか、背の高さとか、横幅も違って当たり前で。

それに合わせて、自分がなりたいと思う理想の像も違って当たり前だと思うのです。

 

日本では、なりたい顔ランキングとか、ブサイクランキングとか、色々ありますよね。 みんな「橋本環奈になりたい」だとか、「新垣結衣になりたい」だとか、たしかにめちゃくちゃ可愛いけれど、何でランキングにするのかなぁ。失礼ですよね。

日本の美人の風潮が、「色白で、細くて、平行二重で、目がぱっちりで、足が長くて」と結構条件の中に縛られていて、この中に当てはまってた部分をみんな褒めていく。

 

私は、色も白くはないし、足もスケートで太いし、一重だし、目も細いし、足も短いけれど、 一重の自分はそんなに嫌いじゃないのです。

一時期嫌いになったことはあるけれど、それって 実は自分の本意ではなく、 自分の中に埋め込まれた他者であったと今は思います。

 

日本の見た目いじりは、勿論酷いけれど 褒め方にも気をつけたいなぁと最近思っています。 「素敵」とか「美しい」とか、単語自体に褒め要素があるものを積極的に使っていきたいな。

戦争を知らない私

 

今年4月、私は20歳になった。

年齢的にも、社会的にも、一応大人の位置にいる。

大人歴4ヶ月。

だけど、あの頃、思い描いていた"カッコいい大人"とは程遠い距離。

あまりにも理想とかけ離れた境遇や,そこに呑み込まれてしまう自分の弱さを、未だに受け入れることが出来なくて苦しい毎日だ。

周りは、「まだまだ若いから。これからだからね〜」と言ってくれるが、それでも

2分の1成人式の10歳の自分を思い出しては、「ごめんね。ごめんね」と何度も心の中で唱えることも少なくないこの頃。

コーヒーを飲めただけで,ラーメン屋に一人で入れただけで,大人に近づけたと思ったあの頃のような実感がもう一度欲しいと最近、よく思ったりする。

 

だが遡って考えてみると、眩しく遠く見えたあの大人も案外偉くないのかもしれないとも思った。

みんな、実は自分の半径1メートル以内を守って生きることに必死なのかもしれない。そう考えれば少しは楽になった。

実際は、何メートルも先にいる誰かを救おうと頑張っている人を沢山知っているんだけれど。本当は、私がどの同級生よりも、それを感じられる環境に居るはずなんだけど…。

目の前で起こる毎日の出来事や友達とのやりとりで、頭の中はいっぱいになっている自分は、そう思うしか自分を肯定出来なかったのかもしれない。

 

 

広島に原爆が落とされてから76年の8/6、私は酒を飲んで暴れた。

長崎に原爆が落とされてから76年の8/9、私は夜中に一人、カラオケで歌いまくり、ハイになって帰宅した。

ゴチャゴチャになった頭の中を終わらせるには、そうやって暴れて、眠りにつくことが今の一番の方法だ。

戦争やテロが世界で起こっていても、自分は飲みすぎて吐いている。眠ることだけが救いのように、日々を過ごしている。しかし、不眠になると,現実が24時間襲ってくるので途端に死にたくなる。

 

社会で過ごすと、どうしても自己保身で虚栄を張ってしまうことばかりだ。すると、社会はとてつもないスピードで変わっていくのに、自分の本当の位置はすぐに見失ってしまう。

次々と変わりゆく世界の中で、いつまでも変われなかったり進もうとしなかったりする自分の現在地を晒してくれるのが、今の病気であり、仲間であり、絵であり、音楽であるんだろうか。

(本当は、社会のスピードが早すぎるだけで、私自身もゆっくり進んでいるんだけど。)

 

考えれば考える程、自分のことなんて分からなくなる。毎日喰らい付いて生きて、何かを感じて、一日は過ぎていく。何か私に出来ることをしたい。もっと人を愛したい。そんな風に考えていたら、また今も、日付を跨いでしまったけれど。

この振り返りが、いつしか誰かの救いになることを祈って、ブログに起こしてみた。

それで良いぞ、私。

 

対話12〜Tさんご夫妻〜差別と無自覚

対話12人目はTさんご夫妻(70歳代)です。

Tさんご夫妻、ありがとうございます😊

 

今回は、1対2での対話となりました。匿名を希望されたため,Tさんご夫妻のご経歴等は伏せさせていただきます。

対話をお願いしたきっかけは、TBSの番組「スッキリ」でアイヌ民族に対する差別的発言が放送されたことでした。

本当はもう少し早くにこの記事を上げたかったのですが、投稿が遅くなってしまいました💦

以前から、Tさんご夫妻とはアイヌ民族の文化についてお話することがあったので、「今回のこのような問題をどのように感じているのか是非お聞きしたい」と伝えたところ、快く引き受けてくださりました。

また、今回の問題に限ったことではなく、世界で未だに根付いている偏見や差別についてもお話し、優しさ溢れるお2人に大きなパワーを貰いました。

是非、皆さんのご意見,ご感想もお聞かせください。

以下対話です。

 

😊:ご協力ありがとうございます。

今回、テレビでアイヌ民族の方に対する差別的表現が放送されましたよね。まず、T妻さんの子どもの頃のアイヌとの関わりをお聞かせください。

 

T妻:私が小学生の頃、教室の後ろの壁にそれこそ、「ア、イヌがきた」って書いてあったよ。それが日常だった。今以上に差別の風潮があった。

五年生のときには、"コタンの口笛"という本を読んで衝撃を受けてさ。主人公が凄く差別されて傷ついて自殺を図るっていうのを泣きながら読んだね。

最近、その本をもう一回見てみたんだけどやっぱり本当に酷くて。手繋ぎ遊びで誰も手を繋いでくれないとか、「貴方はアイヌなんだから。」と言って必要以上に母親に怒られたりとか、何も悪く無いことで自ら警察に行って頭下げたりとか。

後は…。友達と、歩いていた時なんだけど。何か小屋みたいな家が道の途中にあって、そこで誰かが焚き火を燃やしていたのを見たんだよね。「ちょっと他の家と雰囲気が違うな」と思っていたら、友達が「あれはね、アイヌの家なんだよ。」って言ってきて。そういう「アイヌ」というだけで指を刺されるような雰囲気があった。

 

😊:そうだったんですね。

 

T夫:アイヌの人達が自分から「アイヌです」って言うことは勿論ないし、周りの人間もアイヌに対して差別的な考えをかなり持っていて当たり前のような時代だったな。

 

😊:T夫さんの子ども時代の環境は、どんな感じでしたか?

 

T夫:俺は、同級生にアイヌの人がいたんだよ。2年くらい一緒にいたんだけど、その内引っ越しちゃった。俺の地域にアイヌ部落があったのは知っていたんだけど、どこにあるのかはわかってなくて。後から、その同級生が居たところがアイヌ部落だったということは知ったんだ。

俺の周りにはアイヌ差別をしている人は居なくて、俺も差別意識は無かったんだけど、世間や遠くの大人はそうじゃなかった。「何で世間はアイヌに対してそういう言い方をするんだ?」とか、そういう疑問はずっと小さい頃からあった。働き出した頃、アイヌの土地を騙して取り上げて、それであそこにアイヌ部落があって…。みたいなアイヌ部落の歴史を知って驚いた。途端に同級生のことを思ったね。

騙して追いやって追いやって…。「お前達は皆ここに住め!」っていうのを北海道各地でやっていたんだね。

後、俺がアイヌに関心を持つようになった1番のきっかけはある講演会なんだけど。鷲谷サトさんっていう方が言っていた言葉がかなり衝撃的だった。「自分達は、差別や迫害を今まで散々受けてきたんだけど、それと戦うことは出来なかった。自分の子ども,孫,ひ孫達が差別を受けないように、血を薄めることを選択した。血を薄めるために、自分の望まない結婚もセックスもやったんだ。」

この話を聞いて本当にびっくりした。大ショックでなぁ…。今まで差別の意識はなかったものの、そこまで知らなかったというか、本当に酷いんだって思った。

人権侵害は絶対許されることでは無い。日テレの「あ,イヌ」の問題だってな…。マスコミの劣化が酷すぎる。生中継じゃ無いんだから放送するまでに充分確認する時間があった訳だし、それを怠ったっていうのはあり得ない。それを流して、「あー、間違えた、あー失敗。」ってそういう問題じゃ無いんだわ。

人権侵害って、当事者じゃ無いと他人事にされやすいけれど、これはアイヌ民族の人だけの問題では無い。俺たちみんなの問題なんだ。俺は、アイヌの問題も朝鮮人の問題も男女差別も、全部見つめて自分事として考えていかないといけないと思っている。

 

T妻:擁護はしないけれど、お笑い芸人は無知識で言ってしまったのかもしれない。でも、マスコミは酷い。本当に。

 

😊:検証する時間があったんですもんね…

 

T夫:ましてや、あの、東京五輪組織委の元会長の森さんでさえ、引きづり下ろされるくらい世論が高まっているのに。

 

😊:「あ,イヌ」って、放送されて問題視された後も、最初は簡単なテロップとアナウンサーが頭を下げただけでの謝罪でしたよね。たしか。

ちゃんとした説明がありませんでしたよね。

 

T夫妻:うん。

 

😊:その後、益々視聴者からの批判が高まり政府も日テレを批判して、やっとスタジオ内の3人が代表して謝罪していましたね。

私は、勿論マスコミが検証を怠り、人権を侵害するような表現を放送した事はあり得ないと思います。でも、1億歩譲って、間違えた事を素直に謝る姿をちゃんと見せて欲しかったです。学校で言われるじゃ無いですか。「悪いことしたら謝ろうね」って。今回の事件で、また子ども達に薄情な大人の姿を見せてしまった…。そんなことを思いました。

 

T妻:本当だよね…。「上からの圧がかかったから、仕方なく頭下げました」って、そういう姿も見せてしまったよね。

やっぱり北海道に今、住まわせて貰っているから、アイヌ民族の問題はずっと考えていかないと、って思っている。

 

😊:そうですね。そして、いくら「私は優しいです」って思っていても、やっぱり知識が無いと誰かを無自覚に傷つけますよね。芸人さんだって、あの方は本当は歴史が好きで、人を笑わせるために仕事をやっているわけじゃ無いですか。善悪で言うなら、残念だけど、あの芸人さんは心は善でも行動は悪だった。そして、私自身も地上波として放送されていないだけで、こういった事を起こしている事があると思う。無いとは言えない。思いつかないのは、無自覚なだけかもしれない。

 

T夫:その通り。だからこそ、常に自分の事を振り返って確認する作業が必要なんだ。テレビ局も確認が必要だし,俺たちだって必要なんだ。マスコミは本当に劣化してしまった。検証することも振り返って反省することも、全くしなくなってしまったんだ。

安倍さんの罪は大きい。ここ8年間で、大きくマスコミを変えてしまった。白を切り通して嘘を貫き通せばそれで済むということ,結局安倍さんの意向にしか放送できないから検証しても無駄だということを

マスコミに植え込ませてしまった。そういった事を取り締まる検察も駄目にしてしまった。

 

T妻:うんうん。

 

T夫:社会運動している人達だってね、実は例外では無い人もいるんだわ。「これ正しいことやっているんだから文句言うな」って態度で,本来の民主主義をぶっ壊している時があるんだ。それも無自覚なんだ。自分のところに一回引き留めて、「これで良いのかな?」って考えない。まず、疑問を持ってみるというのは、凄く大切なことなんだ。

 

😊:"正義"って、みんな信じて疑わないからどこまでも突き進みますよね。"悪"という感覚があれば、罪悪感が伴うのでどこかで歯止めが効く事が多いけれど。

正義って時に怖いですよね。

 

T夫:そうだな。みんな、常に疑問を持って点検する必要があるな。

そして、間違ったと思ったら「ごめんなさい。」を言う。謝れる人はカッコいい。気持ちをしっかり持っていないと謝らないから。

そう言えば,俺の親父がこう言う事を教えてくれたな…。

親父は正しいことしていたと思っていたけど、誰かに指摘されて振り返った時、自分が間違っていたと感じたんだって。結構お偉いさんの立場だったのにも関わらず、謝りに回ったというのをチラッと聞いた事があるな。俺が24歳の時に亡くなったんだけどね。

 

😊:そうなんですね…

かつてのドイツでのユダヤ人迫害も、あれはユダヤ人を迫害する事が正義だと疑わなかった人たちが引き起こした残虐な歴史でしたね。差別というものは、正義から来ていることが大半なんでしょうね。

右翼なら左翼を差別しても良い、左翼から右翼を差別しても良いという今の風潮も大嫌いです。ネットとか特にすごい。どんな立場に立ったとしても、どういう思想を持っていても、それは駄目なこと。

左,右の前に、地盤固めましょうって思う事がよくあります。

 

T夫:日本はね、「民主主義国家です」って憲法に書いてあるけれど、教育でそれを教える人がほぼ居ないよね。全く育ってない。

 

😊:前回の対話の時に、宮田さんという方から「外国では入学後、数学や文字を学ぶ前にまず初めに基本的人権について教わる」ということをお聞きしました。私の学校のイメージとは、大きくかけ離れていた!私は学生しか経験していないので、学校の話しか出来ませんが、結局、頭髪検査なども差別を助長させている教育ですよね。一番驚いたのは、指の毛が生えている子に「剃ってください」と伝えた先生がいた事でした。「あ,イヌ」の問題が批判されていますが、これだって同じ人権侵害です。

 

T妻:えっ。私の学生時代って、そんなにひどく無かった!

 

😊:勿論、変わってきている部分はあるけれど、何となく色々な年代の人からお話を聞くと、今の時代の学生は絶対服従が当たり前の風潮が強い気がしました。そういえば、T夫さん、最初の頃お会いした時、「中学校の頃の先生に俺やクラスの男子全員坊主にさせられた。」って言ってましたね。

 

T夫:1年生の時だったべか…。その年に転勤してきた人がいきなり「長髪禁止」って言い出して。抗議したけど結局駄目で。1年間坊主にして。

その後、何だか忘れたけどそれは無くなった。初めて坊主にしたな。ビックリしちゃったよ。本当に。

 

😊:酷いですね。坊主といえば、野球部。

何故坊主なんでしょう?坊主にしようとしなかろうと、上手さが変わるわけないですよね。後、シンプルに坊主が好きな人に失礼。そういった甲子園の様子を公共の電波で当たり前のように流す神経もわからない。

 

T夫:本当だよなぁ…。

体育界系っていうのは特に…。未だに体制が変わらない。どんだけ選手なんか、パワハラにあっているのかわからないよな。表に出ていないだけで。

 

 

 

 

T夫:差別といえば、、やっぱり森喜朗さんだよなぁ。世界を相手にする舞台での女性軽視発言は、やっぱり辞任せざるを得なかったなぁ。

中身はともかく、あれで世論が高まったのは良かったな。

 

😊:女性軽視発言、最近は次々問題になってますね。杉田水脈さんとか、「女性はいくらでも嘘をつく」って、よく同じ女性なのに言ったもんですよ。

でも、そういう風に言わないと、男優位社会の政党でのし上がれなかったのも事実なんでしょうね。悲しいことに。

 

T夫:そうだなぁ。

俺もT妻にスッゴイ言われたな。

 

T妻:そんなことない(笑)

 

T夫:そうなんだよー。俺なんか良いとこのお坊ちゃんでな、俺の母親が長男息子なんだからって。

育った環境は、男優位社会に根付いたものだったな。勿論、家系は亭主関白だし。

男女平等の話になるとき、本来持っている身体の構造と,後からつけられた「男なんだから,女なんだから〇〇すべき」というものを混同させて考えてはいけない。「全部平等にするんだったら、お前も俺と同じように100キロ持ちなさい。」みたいな意味のわからないものが蔓延しがち。

ちゃんと"そもそも"の違いを理解しておかないと、「平等なのに女だけ休んでいてずるい」とか言い出すやつもいる。

 

T妻:こういうのって私達の時代だけな気がしてたけど、😊ちゃんみたいな若い年代の人でも、まだ起こりうることなんですよね。

 

😊:勿論、昔と比べて問題視されるようにはなっているんじゃないかな…。でも、まだ身近に感じられる問題ではあります。

 

T妻:中学の授業は、女の人は家庭科で、男の人は技術って分けられていたんだよ。

初めて小学5年生の時に、スナップの付け方を教わって今でもはっきり覚えているけれど、先生に「これT妻さんが付けたもの。これ、太郎君が付けたもの。太郎君が付けたもの、綺麗ですね。こっちT妻さん(笑)」って、みんなの前で比べられた。

私、それまで縫い物とかしたことがないから、あまり綺麗には付けられなかった。「こっち、男子だけど綺麗。こっち女子なのに汚い。」みたいなことを伝えられて…。この太郎!って(笑)

 

T夫:太郎が悪いわけでないのに(笑)

 

😊:太郎〜(泣)

 

T妻:うん(笑) その家庭科の先生が悪いんだけど(笑)

だから、私家庭科大嫌い!と思ってね。

 

😊:酷い。「男子だけど」って何ですかね。

 

T妻:傷ついてしまってさ。そういうのが楽しいって思えるまで、すごい時間かかるよね。今は裁縫とか好きだから、損した!って思う。

 

T夫:今楽しいべ。孫の服作ってる。

 

T妻:そうそう。

 

😊:せっかく、料理とかお裁縫とか趣味にしても、全部女性ってだけで「女子力高いね」って言われるんですよ。まあ、私はどちらもあまりしないんですけど。

でも、男の人がそういったものを趣味にしたら、「凄い良い趣味をお持ちですね」って言われる。

女子力って何なんでしょうね…

 

T夫:そんなくだらない言葉。

 

T妻:自分の好きなことやれば良いんだよ!全く

関係ない!

 

T夫:何が料理男子だの、イクメンだの、ふざけるなおい。無視無視っ。

 

 

T妻:😊ちゃんさ、大人になるのが嫌だって言ってたじゃない?

 

😊:はい(笑)

 

T妻:大丈夫。70過ぎてもこういう大人はいるじゃない?(笑) (T夫を指刺す)

 

😊:えっ

 

T妻:大人だから、我慢しないといけないわけじゃない。やっぱりいつまでも好きなことやれば良いと思うよ〜。

嫌なものは嫌!もう無理!とかいくつになっても、言っても良いんだよ。

 

T夫:俺なんか、好きなことしかしてないからな!

 

😊:はい😂

 

T妻:いくつになっても関係ない。歳はただ勝手に取るもんだから。

 

T夫:見てたらわかる(笑)ロクな大人いないから(笑)でもそれで良いんだ。全然問題ない。

 

T妻:人生思ったように行かないけどさ。こっち行こうと思っていたけど何処かで折れ曲がって、あっち行ったりとかして、「あれー」ってなってるうちに何十年も経ったら「思わずこんなところにいるわ!」みたいな。

本当にそんな感じだから、大した成長した感じもしないし、でも自分なりにその時その時選んだ道は"それはそれで良いか"って思えるだろうから。

誰かに「本当に70代なの?」って嫌味言われても、「うん。すみません歳だけとってしまって(笑)」って感じ。

 

T夫:(※補足有)公務員になるのが正しいとか、そういうのじゃなくて、「好き」か「嫌い」で選んで良いんだよ。

勿論、人権侵害は別でな。

「好き」で選んでいけば、必ず良い人に出会えるから。だって俺がそうだもん…

 

😊:😍

 

ーーおしまいーー

私は普段、社会問題に対して目を向けているつもりではありますが、何処かで対岸の火事だという感覚に陥ってしまう時もあります。

特に、それが黒人差別や朝鮮人差別など、自身が当事者でないものこそなりやすい。

 

でも、今回のアイヌに対する差別的表現,部落差別,女性軽視問題,入管施設での外国人に対する差別的対応,コロナ差別,黄色人種差別など… 日本には様々な差別が横行している。

自分には関係ないように感じて、実は誰もが差別の当事者に該当しているんですね。

 

私は、そんな自分自身を振り返り、どこか他人事な自分がいることを認識する。そして、アップデートしていく作業を対話を通して身につけてきました。

また、ときに知らない事で誰かを傷つけたり、怒らせてしまったりしたことも、知識や事実を知った今ならその理由がわかる。

そして、それに気づいたら素直に謝るということを、最近出来るようになってきました。

 

社会問題に目を向けることは、自分の心と対話していることだと思います。

 

無自覚を自覚し、それでも声を上げるのを恐れずに社会に対する無力さと戦っていきたい。

 

 

人は兄弟姉妹として、共に生きていく術を学ばなければならない。
それが出来なければ、私たちは愚か者として共に滅びることになる。
- キング牧師 -

ミミミミ

 

※T夫さんからのコメント・補足です。

 

終わりの部分の「公務員・・・」と言ったことはは「憲法で保証されている最低限の生活」の基準として公務員レベルの生活と言っているのであって、今の現状は全く程遠い。
もっと言えば、国はそのレベルをもっと下げようとしている。
そういう意味で「公務員」という言葉を使っている。

きっかけはアイヌ問題からはじまって、差別の話になり、😊ちゃんがこういう形でまとめてくれたことで、自分が人間として何を大事にしていくべきかを再確認できました。

 

 

存在

学校がおやすみの日。

バスや車の後部座席に乗って、ただ目的地に着くまでボーッとしているあの時間が好きだった。

ただ存在しているだけで、自分の役割を果たせている気がした。

少しだけ現実から遠ざけてくれる不思議な時間だった。

 

対話11〜宮田真理子さん〜踏みしめながら、歩いていく。

対話11人目は、宮田真理子さん(43)💕

宮田さん、ありがとうございます😊

 

宮田さんは、大学時代にメキシコへ1年間留学。そこでNGO団体に入りストリートチルドレンの支援ボランティアをされた経験のある方です。また、"ビッグイシュー日本"で勤務されたご経験もあります。

現在は、ぷれいおん・とかちの"プレイセンターにじっこ"で、乳幼児と親のための遊び場づくりに携わっています。

 

かつて、極端な貧困等で路上生活を強いられてきた人々の支援に携わってきた宮田さん。

これまでの対話では、主に教員の方や生徒の立場からお話を聞かせて頂くことが多かったと思いますが、

今回はまたまた違った角度から、深く社会問題について考えるきっかけとなりました。

また、宮田さんは、今年春に小学四年生になるお子さんもいらっしゃり、母親としての視点からもお話してくださりました。

 読み終わった後は、是非、ご感想等をお聞かせください!

以下対話です。

 

😊:今日はお時間をくださり、本当にありがとうございます!よろしくお願いします。

 

宮:こちらこそよろしくお願いします。

今は、ネットでのコミュニケーションがかつてよりも主流になりつつあるから、余計にわざわざ知らない人と会おう!っていうことが貴重に感じます。😊さんの対話の活動は面白いですね。

 

😊:ありがとうございます☺️

私は、"学校"という与えられただけの環境と自分があまり合わなかったんです。昔から、同級生の友達が少なくて。だけど、高校3年の終わりから色々な職業や価値観の大人の方と直接会うようになって、「あ、こっちの方が面白いな!」っていうのが一個発見だったなって。それが、今の対話の活動に繋がりました。

宮田さんの経歴、とても魅力的で凄いですね…。小さい頃から社会問題にご関心があったんでしょうか?

 

宮:そうですね。私は…子どもの頃から、"異なる者"や"異なる文化"への関心は強かったと思います。そこへ飛び込んでみることで、社会に存在する問題・その人達が直面している問題を知り、もっと知りたい!その解決のために自分も一助を担いたい!と思うようになったんだと思います。

 

😊:なるほど。そうなんですね…

では、宮田さんが、大学時代にメキシコへ留学してストリートチルドレンの支援ボランティアに携わった経緯を教えてください。

 

宮:私はもともと、高校まで山口県の岩国という田舎町で過ごしてきたんですが。自然が身近にあって、平和にのほほーん…っていう感じで育ってきました😌

でも、そこは米軍基地のある町でもあって。だから、アメリカ人が身近に居たかなぁ。団地にも、階級が上の米軍アメリカ人が日本人と結婚して住んでいて、興味津々で遊びに行ったりとか(笑) そういう特徴はありましたね。

 

その後は、大学生になって東京で一人暮らしに。最初は凄く戸惑いました。人も多いし物も情報も多いし大学でも選ばないといけないことは山のようにあるし…。

限られた選択肢の中で自然に囲まれて、これまで平和に過ごしていたことがいかに楽だったかを思い知らされました。一生懸命自分の居場所を見つけようと思って苦戦しましたね。

そんな中で、一番最初に自分が自分らしく楽しめたかなっていうのが、大学1年の夏でした。スタディーツアーでインドに行き「マザーテレサに会おう!」っていうのがあり、行ってみたくて参加しました。それが、貧困の格差の凄い国を初めて目で見た経験だったかな。最初は怖かったし危険な目にも遭ったしカルチャーショックを受けつつも、何か惹かれるものもありました。あ、遠くからだけど、マザーにも会えたんだ。

この体験がきっかけで、国際協力のことが気になるようになりました。

その後は、学校の外で色々な大学の人達が集まって国際協力や途上国のことや貧困問題のことを勉強している場に、熱心に通うようになりました。

で、ストリートチルドレンのことはジャーナリストの工藤律子さんの本を見て、関心を持つようになりました。工藤律子さんは、実際にフィリピンやメキシコでストリートチルドレンの支援をしている方なんですが、当時凄い衝撃を受けて。また、そういったNGO団体があることもその本で知って「私も行きたい!」と思うようになりました。こういった経緯で、留学を決めましたね。

 

😊:そうなんですね!本当に凄い…😮

それは、大学何年生の頃ですか?

 

宮:3年生が終わって、ですね。周りのみんなは就職活動の時でした(笑)  ワガママを親に聞いてもらった感じで(笑)

でも、行ってよかったなぁって思っています。やっぱりずっとぬくぬくと恵まれた環境の中で育ってきたので、路上の子どもたちと会ったことも凄く大きな経験となったし、一から言葉も上手く話せない世界の中で学校に行ったり乗り物に乗ったり…。そうやって生きていく経験は大きいものでしたね。生活力が付いて、この1年間はそれまでの20年ちょいを上回るくらいの充実感でしたね。

 

😊:わー😳 本当に凄いなぁ…

ストリートチルドレンの支援ボランティアの活動は、具体的にどのようなことをされたんですか?

 

宮:最初は、やっぱり言葉がうまく話せないと足手纏いになっちゃうから、半年間はやりたかったけど活動せずに、とにかく学校だけ行って言葉を学んでいました。残りの半年間は、学校にも行きつつやりたかったボランティアを始めました。

まずは、子どもたちを保護する施設でのボランティアから。その後に、路上を巡回する方に参加させて頂きました。やっぱり、凄くそこが魅力的だったんですよね。現地のスタッフの人たちが凄い魅力的で、良い大人のモデルというか。

一般の人は、路上の子ども達を見ないように歩く。やっぱりずっと外にいるから身なりが汚れていて臭いもして… 。何か"ゴミ"みたいな感じで見る人も多いです。何より子ども達が自分のことを「自分はゴミみたいに価値がない」と感じている。そんな中で、(スタッフの人達は)一人一人のことをちゃんと知って名前で〇〇君,〇〇ちゃんって読んでいました。なかなか子どもたちが、そういった意識や現状から抜け出すことって難しいんだけど、何回も粘り強く声をかけたり「運動一緒にしよー!」って言ったり。物凄いポジティブなパワーで子ども達に接していて…

あの時期に、こういう大人と出会えて良かったなぁって思うんですよね。

そこで、「機会のない人に機会を与える仕事をやりたいなぁ」というような夢が出来ました。

 

😊:凄い… 凄い…なかなか聞けない新鮮なお話過ぎて、凄いしか言えないです(笑)

路上の子どもたちと触れ合って、何か特に印象的だったことはありますか?

 

宮:一緒に居る時は、みんな凄い笑顔で明るい感じなんだけど、ふとした時に子どもが語る、過酷な家庭環境や酷い性的虐待の過去にショックを受けました。小さいうちから人間不信に陥るような経験をいっぱいして、子どもたちだけで片寄せあって生きていて…。

現地で初めて「子どもの権利条約」という言葉も知ったし、権利を侵害されている子ども達を目の前で見たのが大きかったです。

いかに子どもが大人によって傷つけられるのか、教わったから「自分は母親になった時、子どもを絶対に幸せにしよう」と思った。実際に結婚して子どもを産んだのは、結構後だったんですけどね(笑)

 

😊:そうなんですね…

あの、メキシコに留学された時って何年ですか?

 

宮:2000〜2001年くらいですかね。

 

😊:あ、じゃあ丁度「子どもの権利条約」に日本が批准した頃ですよね…?注目されてた頃ですかね?

 

宮:そうそう。川崎市で初めて、子どもの権利条例が作られて…みたいな時期だったかな。

でも、あれから20年近く経っているのに全然浸透していないし、知っている子どもの方が少ないでしょう!

 

😊:はい!本当にそうです!

 

宮:そこが、やっぱり残念だなこの国って感じだよね…。

 

😊:はい…。私自身は、12条の「表現の自由」というところにつまずいた幼少期だったなぁって思って…泣

例えば小2の頃に、学校の先生がクラスで怒って。「自分の頭で考えなさい!」って言ったんですよね。だから、私は自分の頭で考えて、手をあげたんですよ。そしたら、「うるせぇ、お前我慢しろ!」って言われて(笑) まだ、発言すらしていないのに(笑)

その時、花柄のオシャレな服でウキウキで学校に行った日だったんですよね。だから、尚更「あ、でしゃばったらダメなんだ…。」ってシュンとなってしまって。子どもの権利条約は、中学1年生くらいの時に知ったんですけど、その時は「え??嘘つくなー!」ってなりましたね(笑) 

 

宮:どこにそんなのあったの?って感じになりますよね(笑)

 

😊:はい(笑)後、大人が積極的に教えてくれる訳じゃないから…。

 

宮:そこだよね!大人が教えたくないと思っている。「子どもに権利意識なんか持たれたら困る」っていう人が多いと思う。

 

😊:「権利だけ主張して、やることやらないんじゃないか」とか…💦

 

宮:それ、権利条例を市町村で作りたいってなった時に、絶対出てくる反対意見みたいです。なんかもう、基本的に子どものこと信頼していなさすぎですよね。あまりにも大人ペースで、それが本当に悲しい。

私の親友が前に、こんなことを言っていました。「自分の子どもと一緒に歩いていたら、周りの親があまりにも子どもの歩く速度に合わせていなかった。ヨチヨチの子ども達を引っ張って歩いていることに気づいた。」って。まさに、この国の子育ての現状を象徴しているよなぁって、凄く覚えています。

歩き始めたばっかりの子は、本当に一歩一歩踏みしめながら、目線にあるものが全て気になって。触ってみたかったり止まりたかったりもする。

そういう気持ちを全部無視されて、とにかく大人に引っ張られていくみたいな。それは大人になってもずーっとそう。

「いつ子どもは、自分のペースで自分のやりたいことを出来るんだろう?」って。学校なんか特にそうじゃないですか?

 

😊:はい…

私は、モンテッソーリ教育やシュタイナー教育のようなものに憧れています(笑) 7歳までは、勉強は"遊ぶこと"で、心にストレスを与えずに自然の中で感性豊かに延び延び暮らす。字とか数字とか、そういう知能的なことは教えない。

「遊ぶ」ということが、いかにこの社会で軽視されているか…。

 

宮:そこは大きいですよね。そして、大人ももっと遊んだ方がいいと思う。仕事し始めると本当に、遊び心が無くなっていく。大切ですよね。

今、私が関わらせて頂いているぷれいおん・とかちは、乳幼児や高校生,大人も含めた遊び文化の広場で、やっぱり居心地が良いです。

その中でやっている"プレイセンター・にじっこ"は、乳幼児の親子の遊び場なんだけど、豊かな遊びの環境を親同士で話し合いながら用意して、そこで子どもが自分のやりたいことを選んでやるっていう。その時、親が「これやるよ!」とは言わない。後は、豊かな学び合いの場を作る。親も、学ぶことは必要だから子育てや発達の勉強をしたりとか。

 

😊:へぇー!私も一度行ってみたいです!

 

宮:是非来てください。

そうだ。来年度、助成金が取れたら新たにやりたいことがあって…。将来親になる子ども達に、赤ちゃんと直接触れ合う機会を作りたいなって。赤ちゃん連れのお母さんの協力を得つつね。

 

😊:わぁ、良いですね…。赤ちゃんに一度も触れたことのないまま大人になる人が、今の日本は特に多いから素敵ですね。

 

宮:うんうん。私も親になって実感したんですが、赤ちゃんとどうやって触れ合うのか,どうやって子育てしていくのかっていうのを教えてもらう機会もほとんどなかったなぁって。

すぐ横で教えてくれる母や叔母さんも、遠方で核家族だからいない…とか、夫は仕事で忙しくて夜遅く帰ってくる…とか。頼れない,わからないで必死に頑張っているお母さんが凄く多いです。

本来、人間の脳って1人で子育て出来る様になっていないので、そりゃあ辛いですよね。みんなで預かったりサポートしたりしながら、子どもを育てるというのが本来の人間の性質。

なんとか、そんな苦しい状況を変えたいということで、プレイセンターでは「みんなでみんなの子どもを見る」練習をしているというか。

「私もこういう子育てをしたいなぁ」って思う人が増えたら良いなぁと思っています。

よかったらこのパンフレット、どうぞ☺️

 

😊:あ、ありがとうございます🥰

やっぱり「実際に体験して学ぶ」って本当に大切なんですね…。宮田さんは、ストリートチルドレンの支援ボランティアだったりプレイセンター・にじっこだったり。本当に体験を大切にされていて、素敵です🥺

 

宮:学校では、次のステップの為の勉強ばかりするので、もうそれはゴリゴリというか(笑)

 

😊:(笑)

 

宮:それよりも実際に興味のある世界に飛び込んで、そこで学びたい!色々な人と出逢いながら新しい世界に触れられるということが、凄い楽しい。

 

😊:(素敵だなぁ…)

 

 

 

😊:あ!残り時間も僅かですね。

後はー。あ!ビッグイシューに勤務された経験のことを聞いていない!お勤めされたきっかけを教えてください。

 

宮:(大学時代の頃)毎朝、学校に行く時に駅で寝ているお爺ちゃんが沢山いて。でも、その中に1人、お上品で綺麗なお婆ちゃんが居たんですよね。「どうしてここで寝るような経緯になったのかな」とか、「女性1人で大丈夫かな」とか、凄い気になるんだけど声をかけられなかった。

その後、留学先で"路上の子ども達が、道ゆく人にまるで居ない存在かのように通り過ぎ去られていく姿"を見ました。嫌な人達だなって思っていたんだけど、日本に帰ってきた時にふと、「私もあの人達と同じことしていたんだなぁ」って。

「これはもう、見ないフリをしたくない」って思いました。

といっても、最初は違う会社で働いていたんですが、色々、ホームレスに関する本を読んでいくうちに「ビッグイシュー」を知りました。

ビッグイシューは、気になっても声をかけることが出来なかった,どう関わっていけば良いかわからなかったホームレス問題に、"誰でも関われる仕組み"を作り、見えない壁で隔てられた両者を合わせた!というのが凄いところだと思います。

雑誌を売る人と買う人という関係性によって、接点を作ってくれたことに強く惹かれました!

まずは東京事務所を訪ね、ボランティアから始まりました。そして、何年か後に実際に勤めさせて頂くようになりました。

あの留学の経験からずっと、「機会のない人に機会を与える仕事をやりたい」という夢があったから、「やりたかったこと見つけちゃった!」って思いましたね。

 

😊:わぁ〜✨✨ 本当に感動です。ビッグイシューも勿論凄いけれど、宮田さんも凄い…。

私自身も、ホームレスの方を見てもどかしいと思いながらも通り過ぎたことがありました。

「機会のない人に機会を与える」、私も自分の方法で、そういったことに貢献できる人になりたいです。

本当に貴重なお話をありがとうございました。

 

最後に…宮田さんの好きな言葉を教えてください。

 

宮:「七転び八起き」です!

私も過去、何度か失敗を経験したことがありますが、前向きな性格のため割と起き上がるのが早いんですね。

それが災いしたこともありますが…。ともかく、人生何度転んでも、それ+1上回る回数起き上がれば失敗は「より賢く生きる糧になる」と思っています☺️

 

ーーおしまいーー

宮田さん…本当に素敵です…

 

対話中、ほとんど"凄い"しか言えなくて、自分のボキャブラリーの無さを痛感しました(笑)

 

宮田さんの声は、優しい中にも、実際に過酷な子どもたちの様子を目で見た方にしか持てない、力強さというものを感じ、とても引き込まれました。

私がもし、お母さんになれたり子どもになんらかの形で携われたりした時は、「子どもの権利条約」をしっかり教えよう。そう思いました。

 

ここからは少し、私の心の対話を。

 

宮田さんからお聞きしたように、世界には一度も「家に住んだこと」や「大人からの愛情を受けたこと」のない子どもがいる。

空腹による苦しみや、周囲の人の偏見,暴力に何の罪もない子どもが耐えている。苦しみから逃れるために、シンナーに手を染める子も沢山居るという。

 

私は、今も、どこかで計り知れない程の孤独と戦っている子どもがいることを想像する度に、残虐な社会や自分の無自覚さに怒りを感じられずにはいられない。

"自分だけ幸せで良いんだろうか?"ときにそんなことを思ったりもする。でも、本来は皆、幸せになる権利が当然のようにあるはずなのだ。そして、何より大人はそれを伝えていく義務がある。そんなことを思った。

 

ーー私は宮田さんと別れ、バスに揺られている最中、半年前に、対話⑦のJさんが言っていたことを思い出していた。

テレビのCMではエチオピアの子どもが、飢餓により、お腹が出ている様子が放送されていて…
「もしも、俺がエチオピアに生まれていたら、あんな風に餓死していったんだろうか。あれは俺なのか?」という恐怖心が襲ってきた。

この世界は生まれた国や性別,人種,家庭環境で、こんなにも境遇が変わってしまう。私もまさにこの時、Jさんと同じような感覚に陥っていた。

 

路上の子ども達は、こんな人間の愚かさを、どのように感じながら、今この時を過ごしているのだろう。どうか「自分がゴミみたいに価値がない」なんて思わないで欲しい。そう強く祈るが、子ども達の目に映る光景はいくら想像しても計り知れなくて…

 

私が暮らしている日本でも、「自己責任論」が当たり前のように充満している。

政府は、非正規雇用の拡大やワーキングプアなどの問題を作り上げ「自助」を謳い、

義務教育では、「手間が掛からなくてお利口」であることが正しいということを学ばされてきた。

メディアは、「勝ち組」「負け組」といった言葉で競争を煽ってきた。その結果、成功者と言われる人間の自伝や自己啓発本が次々とベストセラーとなった。

 

子ども達を激しい競争社会の中に巻き込み、競争意識をあおることは、妬み、憎しみ、屈辱、といったマイナスの感情を生み出す。

自尊心を蝕み、"どれだけ高い偏差値の学校に行けるか"ばかりに重きを置かれ、子どもの純粋な夢や理想が壊されていく。

 

こんな世界で、私は"絶望"を感じながら生きていくしかないのだろうか。毎日毎日、そんな風潮に耐えて世の中を恨み大人を恨み、悲観的になりながら生きていくしかないのか。

 

…そんなの嫌だ。どんなに忘れようとしても,抗っても地面はずっと続いている。全てを受け止めることが出来なくても、希望を感じて生きていたい。

 

宮田さんは、その後、メッセンジャーでこのようなことを教えてくださった。

 

「不安は過去から連なって、そこにあるもの。でも私の胸のハートと意志と肉体は、子どもたちの作る未来へと繋がり、そこには強くて温かな光がある。不安は安心へと繋がっている。」

 

この言葉を見て、「あぁそっか」と思った。

「希望は、"次へと続いている"こと、"歩いている"ことそのものなんだ。」

 

ときには束の間の希望に、同じ悲しみが何度も降りかかり、また絶望へと変わってしまうこともあるかもしれない。綺麗事だけでは決してまとめられないものもあるけれど。

 

未来がある限り、"希望"という言葉は今後も使われていくんだろうな。

 

私も宮田さんのように、次の時代へと希望の道標を示していけるような大人になりたい。

 

長くなりました。

 

宮田さん本当にありがとうございました。

子育てに困った時は、ぷれいおん・とかち、"プレイセンター・にじっこ"まで☺️ と勝手に宣伝。

私も近々、行きたいです。

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