戦争を知らない私

 

今年4月、私は20歳になった。

年齢的にも、社会的にも、一応大人の位置にいる。

大人歴4ヶ月。

だけど、あの頃、思い描いていた"カッコいい大人"とは程遠い距離。

あまりにも理想とかけ離れた境遇や,そこに呑み込まれてしまう自分の弱さを、未だに受け入れることが出来なくて苦しい毎日だ。

周りは、「まだまだ若いから。これからだからね〜」と言ってくれるが、それでも

2分の1成人式の10歳の自分を思い出しては、「ごめんね。ごめんね」と何度も心の中で唱えることも少なくないこの頃。

コーヒーを飲めただけで,ラーメン屋に一人で入れただけで,大人に近づけたと思ったあの頃のような実感がもう一度欲しいと最近、よく思ったりする。

 

だが遡って考えてみると、眩しく遠く見えたあの大人も案外偉くないのかもしれないとも思った。

みんな、実は自分の半径1メートル以内を守って生きることに必死なのかもしれない。そう考えれば少しは楽になった。

実際は、何メートルも先にいる誰かを救おうと頑張っている人を沢山知っているんだけれど。本当は、私がどの同級生よりも、それを感じられる環境に居るはずなんだけど…。

目の前で起こる毎日の出来事や友達とのやりとりで、頭の中はいっぱいになっている自分は、そう思うしか自分を肯定出来なかったのかもしれない。

 

 

広島に原爆が落とされてから76年の8/6、私は酒を飲んで暴れた。

長崎に原爆が落とされてから76年の8/9、私は夜中に一人、カラオケで歌いまくり、ハイになって帰宅した。

ゴチャゴチャになった頭の中を終わらせるには、そうやって暴れて、眠りにつくことが今の一番の方法だ。

戦争やテロが世界で起こっていても、自分は飲みすぎて吐いている。眠ることだけが救いのように、日々を過ごしている。しかし、不眠になると,現実が24時間襲ってくるので途端に死にたくなる。

 

社会で過ごすと、どうしても自己保身で虚栄を張ってしまうことばかりだ。すると、社会はとてつもないスピードで変わっていくのに、自分の本当の位置はすぐに見失ってしまう。

次々と変わりゆく世界の中で、いつまでも変われなかったり進もうとしなかったりする自分の現在地を晒してくれるのが、今の病気であり、仲間であり、絵であり、音楽であるんだろうか。

(本当は、社会のスピードが早すぎるだけで、私自身もゆっくり進んでいるんだけど。)

 

考えれば考える程、自分のことなんて分からなくなる。毎日喰らい付いて生きて、何かを感じて、一日は過ぎていく。何か私に出来ることをしたい。もっと人を愛したい。そんな風に考えていたら、また今も、日付を跨いでしまったけれど。

この振り返りが、いつしか誰かの救いになることを祈って、ブログに起こしてみた。

それで良いぞ、私。