過去の出来事と最近の心境について

過去の出来事。

ある親戚のお葬式に行ってきたという話。

その親戚を、ここではA夫と呼ぶことにする。

 

 

A夫が亡くなった。

正直いうと、私個人では、あまり悲しい気持ちにならなかった。
何故なら、
A夫に会うのは年に1回くらいだし、
他の親戚もたくさん集まっていたりする中、A夫と2人きりで話すことなんて一回もなかったし、
第一、今回のお葬式で本名を知ったくらいだ。(しかももう忘れた)
これといったA夫との思い出は、正直あまり思い浮かばない。
A夫は高齢のため、周りもどちらかというと「よくここまで生きたね〜」って感じで、雰囲気が重くなかったというのもある。

 

でも、1人だけ泣いている人がいた。A夫の妻だ。
A妻は、歳ゆえの認知症なのだが

やはり「今まで、1番長く側にいた人が居なくなった」という事実は理解しているようで、しくしくと涙を流していた。
ただ、骨になったA夫の姿を見て
「ワタシ、死んだ後の顔見てない」と訴えていて、
これは、焼かれる前の、棺にいるA夫の姿を見ていないという意味だが、実際は白い花を入れて優しく頭を撫でていたのを私は見た。
また、一回だけ「誰が死んだんだ?」と混乱していて、そばにいた娘が「あんたの夫だよ」と伝えると、何となく思い出したように
「そうか…」
と言っていたのだが、その顔が何とも寂しそうだった。

 

帰りの車の中で、私はそのことが何か引っかかっていてた。

 

話が変わるが、私は最近、苦しい。まあ、不安なんてものは誰しも一生消えないものなのかもしれないけど、
ここ1週間は色々考えるのが嫌で、家にいる間は布団に潜り、ずっと寝ようとすることが多かった。
目が覚めた瞬間や、なかなか寝れなくて苦しい時や、悪夢にうなされた後は決まっていつも思っていた。
「思考が停止すれば楽になるのに」
「辛いとか悲しい感情がなくなれば良いのに」

 

でも、車に乗っている時の自分は、不思議とそんな思いは浮かんでこなかった。何故、A妻の、あの寂しそうな顔がずっと頭の片隅から離れないのだろう。私はずっと考えていた。

そして考えた末に、ふと思った。
「大切な人が残してくれた、私の思いは全部忘れたくないな」

 

 

私は、これまで「辛さ」とか「苦しさ」の闇の部分だけを見て、孤独を感じていた場面が多々あった。でも、その辛さによって、「大切な人」に救われ、優しさを感じることができたのを忘れていた。

 

自分の苦しさや辛さは、自分だけのものだと思っていたから、苦しいだけだった。でもそれは、大切な人の一部分を知ることができたものでもあり、一緒に共有してきたものでもあるのだ。

 

 

私たちは、当たり前だが誰一人として同じ人はいない。だから、自分の気持ちを完全にわかってもらうことなど、本当は無理だと思う。
「わかり合う」 「共感する」
といった理想的な単語はやっぱり理想にしか過ぎず、大抵は孤独を感じたり違う世界を生きているな〜と感じたりする。

私は、そういったことにも、ずっと絶望を感じていたのだろう。

 

でも…
大切な人と共有した「思い」
大切な人が作ってくれた私の「思い」は消えない。
私は確かに、誰かと一緒に生きている。

 

このお葬式を機に、少しだけそんなことを思えるようになった。死んだA夫の気持ちや、悲しんでいるA妻の気持ちは私にはわからない。わかろうとしたり、想像したりすることは大事でも、わかったようなふりはしてはいけない。

A妻が泣いている横で、全然悲しめない自分を冷たい奴だと思ったりもしたが、逆にそう思うこと自体が失礼なのだ。二人には二人の時間があり、二人にしかわからないこともある。それぞれにしかわからないことも、もちろんある。

 

でも、確かに私たちは、誰かと一緒に生きている。

 

 

布団に入って動かない生活から抜け出して、もっとたくさんの人と話がしたくなった。もっと色んな人を通じて、思いを刻み続けたいと思った。そして、私の生きている証を、誰かにも刻んでもらえたなら。

とはいえ、また明日になれば布団から出たくないと思うのかもしれない。この先もそのままなのかもしれないけど。

でも、まあ、こうやって思えた気持ちも、また心に刻んでおこう。

A夫との最初で最後の思い出だ。


A夫へ。腰が痛いからといって、葬儀中にクネクネしてごめん。ゆっくり休んでね。

 

そういえばsyrup16gのmy songにも、書かれていたな。
「わかり合うとか 

信じ合うとかそんなことどうだって良い」

 

「だけど どんな 思いも 

   必ず私は胸に刻むから 

   遠ざかっても いつでもあなたに会えるんだ」


「どんな時でも いつまでも my song oursong…」

 

 

後付け

※この文章は当時、車の中でふと思いが溢れてきた時に、急いで記録したものです。また、最近書いたものではありません。なので、今現在、苦しみや不安に襲われて寝まくっているなんてことはありません。

 

車の中で、この文章を書いている時は、涙が溢れて止まりませんでした。これまで出会った人々や、私を取り巻いていた環境への感謝を、この時は純粋に感じることができ、心が軽くなったのを覚えています。希望と絶望は表裏一体なんだな、ということを実感した出来事でもあります。(私の絶望なんて、こんな程度でちょっと甘いかな?とか思ったりもしますが、まあ、あえて)

 

最近は、またあることをきっかけに

私の心に変化が現れ始めていて、

より一層、一対一で誰かとゆっくり深いお話をしてみたいという欲求が強くなりました。

今はコロナがなかなか収まらず(むしろ加速か?)、その欲求に全く応えられていませんが、

コロナが終わったら、色々な方とお話してみたいです。

 

私は少し前まで、高校生でした。

部活・勉強…と忙しかったのもあり、私の話し相手といえば、学校の中の友達が大半でした。まあ、それは私だけではなく、大抵の人がそうなのかもしれませんが。

テレビ・YouTuber・アイドル・アニメ・インスタ映えTikTok・恋愛…

学校では、そのような話題が多かったのですが、

私はどれにも触れていない生活をしていたので、ほとんど、話についていけませんでした。(人の趣味を批判している訳では無いですよ!)

好きなタイプとかそんなのも、なんだか上手く応えられず、よく、周りからは地味だね〜真面目だね〜と言われてました。私は学校という場所が少し退屈に感じ、ちょっと寂しくもありました。

 

そんな私が好きなことは、言葉に触れること。心の核を探ること。

読書をして、そこに込められたメッセージに感動したり

音楽を聴いて、あるフレーズに心を奪われたり

日記を書いて、自分の心を整理したり

そんなことが大好きでした。

でも、それだけだと足りない。

 

誰かと共有するということ。それが圧倒的に足りない!!

普段感じている感情・心の奥を誰かと一対一で真剣に話してみたい!!

私の知らない世界や価値観に触れてみたい!!

最近そういう思いが、溢れでてきて止まりません!!

 

あ、幸いなことに高校3年の後半から、そういう対話をできる人が2人見つかりました。1人は先生、1人はKちゃん。Kちゃんは初めての親友です。多分。

そして、部活引退後、私は学校外にも飛び出しました!! 素敵な方と出会える機会が増えました!!やったー!!

…と思ったらコロナ…

 

まあ、楽しみは長い方が楽しめるよね…

後、対話するだけじゃなくて、何かその対話を言葉として記録出来たら良いなぁ。

思いを刻むって素敵だと思いませんか?

誰か、こんな私とお話ししてくれる人いませんか😭

 

いつもに増して長くなりました。

いつも見てくれている皆さん

本当にありがとうございます❣️

このブログを書いている時間もまた、私にとってかけがえのない時間です。

気が向いた時にしか更新しませんが、これからも

よろしくお願いします🙇‍♂️