正義中毒から抜けだすことが幸せになれるコツだと思う。

普段の生活で思うことがある。
争いの根底にあるのは、"大抵"が「自分が正しくて相手が間違っている」という決めつけではないだろうかと。

正義観を持っている人ほど、自分とは違うものを多く持っている人に対して、敵のように感じてしまうのである。

 

まあ、そもそも「自分が正しい」と「主張」する裏には"攻撃性"が潜んでいることが大半で、「間違っている貴方様」を存在させなければならない。
攻撃することで、「自分が正しい」という思い込みをより一層強化させ、問題を解決することを後回しにしながら、自身の優越感に浸っている人を私は良く見るし、私自身も無意識のうちにそれをしがちである。

自分とは違う人間を攻撃して追いやる。これは、正義のつもりが、無意識のうちに"ヒトラー"になっていることもあると思う…

 

要するに、私達は「正しさは人の数だけ存在している」ということをもっと頭に入れておくべきだと思う。
「異なる意見」を悪いと決めつけない。
「攻撃」ではなく「対話」を繰り広げる。
超平凡なことしか言えないが、これが超大事だと思う。

自分自身を認めるために「正しさ」という名の武器で他者と争うのはやめ、理解は出来なくても他人を尊重する姿勢を持つ。
それが、人と争わなくても自分を認めることが出来る世界を、自分から創り出すことに繋がる。

また、人から批判されてカッとなった時こそ、自分と他人の正しさは違うということを思い出すことも大切である。
(先生から教わった。意見を押し付けられそうになった時や勝手にレッテルを貼られた時は「ーという意見もある」と頭の中で付け足すと良いらしい。)

 

 

「正しさは人の数だけ存在している」という観点から言うならば、「世間の価値観を信じ過ぎない」と言うことも大切だ。
例えば、日本には「親が老いたら子どもが面倒を見るべきだ」という風潮が根強い。
しかし、実際は家族から在宅介護を受けている高齢者は独居高齢者よりも自殺率が高いということがわかっている。
よく孤独死がニュースで取り上げられているが、実際は寂しさに耐えられず自殺する人よりも家族に迷惑をかけていると自分を責めて自殺する人の方が多いということだ。
勿論原因はこれだけではなく様々あるし、どちらも深刻な問題であることには変わりはない。

ただ、こういったマスコミの印象操作にはウンザリする。

 

私達に出来ることを考えるならば、こういった世間の幸せ指標を基準にすることなく、自分自身の目の前に起きていることを感じ取り、「自分や周囲にとっての幸せは何か」考えることが大切ではないだろうか。

幸せの形は世間の考え方では決まらない。
正しさは人の数だけ存在しているように、幸せもまた人の数だけ存在している。

 

参考文献
「正しさ」に振り回されないコツ/和田秀樹
自分の居場所をつくる心理学/加藤諦三
神との対話 宇宙をみつける 自分をみつける
/ニール・ドナルド・ウォルシュ
A11About NEWS 自殺率が高いのは、一人暮らしの高齢者よりも、家族と同居する高齢者